おはなしの森 座談会
「みんなで話そ!わくわくの外遊び」その1

zadankai

プレーワーカーの仲間がいて、お母さんたちがいて、
世話人さんがいて、子どもたちがいて、この場ができてるんだな

やっし:次は羽根木プレーパークのプレーワーカーやってるあんこに話してもらいましょう。

あんこ:私は、子どもの外遊びがどうこうという問題意識を持ってプレーワーカーになったわけじゃなく、プレーパークって何? プレーワーカーって何? なんか、すごい楽しそうだから入ってみよ、って感じで去年から働き始めているんです。現場の中で、やらなきゃいけないこととか、気をつけてなければいけないこと、いっぱいあるんですが、私は今、子どもたちと遊ぶということを一生懸命やりたいなと思っていて…。
 最初のうち、子どもたちとちゃんばらしたり、鬼ごっこしたりしてて、ちらってみたら、他の二人のプレーワーカーは片づけしてた、ということがあったんです。あ!ごめんちょっと遊んじゃったよとか言ってたんですが、そのときにタカから、「遊ばないと見えないことがたくさんあるし、子どもたちにとってもそれはすごい重要なことだと思うから、今は遊びなよ」って言われて。子どもがどういう気持ちで遊んでいるのかを発信していかなければいけないんですが、まずは私がそれを知らなきゃいけないから、今は遊んで、子どもたちと積極的に関わりたいなと思っています。場作りとか、やれてるようでやれてないなと思ってるんですけど(笑)。

フジイ:そんなことない、良くやってる

あんこ:あたしだけの力じゃ絶対できなくて、プレーワーカーの仲間がいて、来てくれるお母さんたちがいて、世話人さんがいて、子どもたちがいてこの場ができてるんだな、と最近すごく感じるようになってます。

見守るのも大事だけど、一方で真剣に遊ばなきゃだめなんだよ。

やっし:今のお話は、子どもが遊んでいるのを大人が制限しないというのと、子どもの気持ちを知る、という2つのポイントでした。それについて聞いてみたいことありますか?

淵上:見守る感じというのはわかってきたんですが、見守るのと放置するのの違い、微妙な何かがあるんだろうなと思うんですが…。

フジイ:放置はだめだよね。

淵上:その違いはどこなんだろうというのが気になるんですが。

フジイ:放置っていうのは、子どもを見てないってことだよね。子どもがさ、「なんかいっぱい拾ったよ。お母さん、拾ったよ」っていうときに見てないでしゃべってるとかね。それは子どもにとっては切ないんだよ。かといって、拾ってる時に「これも入れなさい、あれもしなさい」っていうのはウザいんだよね(笑)。私が拾いたいのに、なんで親が拾ってるのー!って(笑)。でもね、子育てはいっぱい失敗したほうがいいんだよ。
 見守るのも大事だけど、一方で真剣に遊ばなきゃだめなんだよ。子どもが小さいときは見守ることが多いけど、大きくなってきたらマジに遊ばないと。タカなんかウチの保育園の年長に対して、ベーゴマの勝負マジで容赦しないからね(笑)。そして私たちは「また今日もタカに勝てない」って言いながら、家にもべー床用意して朝練したり。
 どれだけ大人が真剣に遊ぶかってことはすごく大事。泥団子一つにしても、ベーゴマにしても、いろんな遊びにしても、大人と子どもが共感しあえるってところが大事なの。
 でも親は、声かければ遊んであげてる、みたいについつい思いがち。助けてほしい時にうまく手助けしてあげたり、こうじゃない?ってちょっとフォローしてあげることが大事じゃない? そういうとこが、放置じゃなくて見守ってるってことだと思うんだよね。
 大体子どもはね、遊んでる中で「お父さん」「お母さん」って1回は言ってるからね。でも親は、1回くらいじゃ気が付かない。5回くらい呼ばれてまだ気付かなくて、子どもにキレられる。それは完全見てないな、みたいな。プレーワーカーとか保育者は、子どもの視線で「ああ、今こうだね」って感じてるんです。

その2に続く