おはなしの森 座談会
「みんなで話そ!わくわくの外遊び」その1

zadankai

ビオキッズ2014の「おはなしの森 座談会」の様子をお伝えします。
そらまめハウスの縁側に腰掛け、地べたに座って、お話しする人も聞く人も出たり入ったりの、ゆるーい空気のなか、子育てと外遊びについてトークが盛り上がりました。

お話しする人:藤井“フジイ”浩子さん(大きな木保育園 園長)、小池“さっちゃん”祥子さん(テットーひろばプレーワーカー)、吉田“タカ”貴文さん(羽根木プレーパーク プレーワーカー)、松村“あんこ”晃子さん(羽根木プレーパーク プレーワーカー)、淵上周平さん(大きな木保育園父母/ビオキッズ実行委員)、司会進行:植田“やっし”泰(大きな木保育園父母/ビオキッズ実行委員長)

●2014年11月9日11時〜12時@羽根木プレーパークそらまめハウス
※座談会での発言を再構成して掲載しています。
※プレーリーダー/リーダーという呼称は、本文中ではプレーワーカーに統一しています。

やっし:「おはなしの森 座談会・みんなで話そ!わくわくの外遊び」第1部の始まりです。今日はゲストに大きな木保育園の藤井園長をお招きしています。第1部は現役パパトークということで、パパを代表して大きな木保育園の父母であり、ビオキッズの実行委員でもある淵上さんに登壇してもらいます。まずは、普段外でどんな風に子どもと遊んでいるのか、聞いてみたいと思います。淵上さん、お休みの日はどんな風に遊んでいますか?

淵上:ここ羽根木プレーパークに一番良く来てますね。「自分の責任で自由に遊ぶ」というプレーパークの精神があるんですけれども、自由に遊びやすい場というのが、世田谷だとなかなかなかったりして。時間に余裕があるときには山とか川とかに行くんですけれども、ちょっと近場でとなると、この辺で遊ぶのが一番多いです。基本的には遊んでいるのを僕は見てるだけですね。一緒に泥団子つくって遊ぶときもあるんですけれど、保育園の仲間がいるというのもあるし、あんまり世話をする感じでない遊び方っていうのを、なんとなく2年くらいやっているかな。

やっし:僕も週末は子どもと一緒によく羽根木に来てるけど、ここには誰かしら仲間がいるし、子どもは勝手に遊んでます。こっちは見てるだけ。でもね、たまにちらっと見かけるのが「それやっちゃダメだ、あぶないよ、どうのこうの」って子どもに声をかけちゃう人がいるわけですよ。そりゃご覧の通りの場所だから、見てて危ないと思う気持ちはわかるんだけど、子どもが自由に遊ぶのを、大人はどう見守ったらいいのかっていうのが気になります。そのあたりを、フジイとさっちゃんに聞いてみたいな。普段どんなふうに外で子どもに遊びを促しているの?

0歳児でも外に行きたい気持ちがあるんだよね。

フジイ:0歳児でも外に行きたい気持ちがあるんだよね。水の音とか風の音とか、そういう刺激を求めてどんどん外に遊びに行く。まずそこを止めてほしくない。子どもって自由で、いろんな探究心があって、こうしたいああしたいという気持ちがすごいあるの。それを親の生活にあわせようとすると、危ないとかダメだとか言ってしまう。そうすると、0歳のうちから遊びたいという自由な気持ちがしぼんじゃうんだよね。
 1歳児になると、石ころひろったり、マンホールに枝を入れたりする、探索遊びが楽しい時期になる。そういう時期もとにかく公園に行けばいい。それぞれの年齢によって、0歳だったら0歳、1歳だったら1歳、2歳になったらどんどん自我が出てきて、3歳になったら集団で遊んで、という年齢による遊びもあるんだけど、そこを大人がどうやって見守って、自然と遊べるようになるか、ってことなんだよね。公園に連れてきたから、お砂場すればいいとか、こう遊びなさいって大人が指示してしまいがちなんだけど、子どもは指示された遊びなんて望んでないんだよ。
 例えば「どんぐり5個拾ったら帰るよ!」みたいに規制が多くなったら、「割れてるんだろうか?」「美味しいんだろうか?」って考える間もないよね。そういうのだと、せっかく公園に来ても「遊び」じゃないと思うんだよ。自然と心が揺れ動く遊びに、子どもがどんどん「やりたい!」という風になっていくか、っていうことだと思うんだよね。親の監視が強かったり、ダメだとか言われて育った子は、なかなか自由に遊べないよね。そういう子のほうが、心を開放するまでに時間がかかることが多いかな。
 そして、異年齢の刺激というのがあって、木に登ったり、ああゆうターザンロープをやっている年長や小学生がいたり、屋根に上ってる学童がいたりすると、大きくなったらああいうふうになりたい、っていう思いが強くなる。一段だけ登ってみて落っこちて、今はできない。でもいつかっていう経験が積み重なって、遊びの世界が広がっていくと思うんだよね。
 外遊びが嫌いな子もいるし、土が嫌いな子もいる。でもやっぱり共有する仲間がほしい。そこをどういう風に環境なり、大人の見守りをつくっていくかというのが、大事だなといつも思っています。

ドイツの森の幼稚園を見て、私が学んでた保育の基本って何だったんだろう、と思った

さっちゃん:藤井さんのあとで話すのか…(笑)。えーと、私は「テットーひろば」のプレーワーカーになって2年目なんですけど、そもそもプレーワーカーになろうと思ったきっかけが、ドイツの森の幼稚園に研修に行ったことなんです。ドイツの森の幼稚園は、あるのはリンゴの木とプレハブ小屋と、奥に果物畑みたいな、ほんとになーんにもない草原だったんだけど、そこでただ子どもたちが保育時間中ずーっと放されて、ただひたすらやりたいことをやってるだけ。それを見ながらお母さんとか先生たちは、チーズを切りながら「はっはっは、あんなことやってるね、こんなことやってるね!」って見守ってたんです。それを見た時に、私が学んでた保育の基本って何だったんだろう、と思って。
 やっぱり外でいること、その時、自分が何をするかを選択できる環境っていうのが、一番子どもにとって大事。私にくっついて離れない子が一人いたんですけれど、それを見ても先生は「ほら遊びに行きなさいよ、時間なんだから」とも言わずに、「それもその子が選択した時間だからしょうがないよ。いいね、お姉さんとくっつけて」という風に見守っていた。そういうのって、こういう広い空間があったりだとか、子どもたちが選択できるいろんなものがないとできないと思ったんですね。
 それに、外って子どもによって遊びが変わってくる。同じ落ち葉でも拾ってみたり、貼ってみたり、破ってみたり、飛ばしてみたりという、一つの物から際限なく遊びが出てくる。やっぱり室内だと積み木を積んで重ねてみて、で、どうしようかって遊び方が決まってきちゃう。だから、外にあるもので遊ぶ力をつける、やりたいことを選択する力をつけることのほうがいいよね、とずっと思ってたんです。
 でも、テットーでも「遊んできなさいよ。テットーにいるんだから外に出なさいよ」という言葉がよく聞かれて。今その子は読書がしたかった、今その子は水に濡れたかった、そういうことを大人目線で止めちゃいけないよなというところが、もどかしいところだったりするんです。だからそこを、テットーに来てるお母さん同士で、「あはは、いいじゃない」って。泥だらけになっても「やっちゃったね、すごい濡れ方だね!」って言っただけでお母さんの表情がガラッと変わるんですね、「あ、これで良かったんだ」って。
 だからお母さんお父さんにもそういう仲間が必要だし、そうやって他人がもっと子どもを見て、他人から「良かったね、よくできたね、楽しそうだね」って言ってもらえる機会をもっと増やしていかなきゃなって思いながら、そういう思いでずっとテットーをやっています。

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